こんにちは。
今月も、福井、神奈川と
ヨガの旅に飛び回ってきました。
そこで目の当たりにした奇跡のような瞬間。
でもそれは奇跡でも魔法でもなく
本来のヨガの持つ力。
何年もかけて膝と股関節の手術をし
自分の体でありながら
どんどんと自由がきかなくなってくる身体。
全身の細胞が溶けていくようだと
車椅子の上から
暗い表情で打ち明けてくださった
共にヨガを学ぶ仲間のお母様。
師であるマスター・スダカーは
ただ慰めるわけでもなく
車椅子のままでもできる動きだけを
教えるわけでもなく
まず話をしました。
まっすぐと目を見て、
これから言うことをやってくれますか、と。
できることなら、やります
そう答えた彼女に
微笑みながら歩み寄りました。
両脇から支えられても立つこともおぼつかない
怖い、できないと繰り返す彼女に
僕がいるから大丈夫だと言いながら
ちょっと一緒に踊っていただけませんか
まるでそう誘うように
支えながら歩き出しました。
何度ももう無理です
椅子に帰してくださいと頼む彼女に
しっかりと耳を傾けながら
にこにこと話しかけ続けながら
ヨガを指導し続けたマスター・スダカー。
気づけば二人がかりの支えは一人で十分になり
足取りもスムーズに軽くなっていました。
顔の血色がみるみるうちに良くなり
笑顔がこぼれ落ち
受け答えもハキハキとしてきた彼女。
Before 両脇から支えられていたのに
(とはいえ表情はすでにAfter!)
(ワナカムヨガスクールからお写真お借りしました)
After 軽く手を引くだけで自ら歩けるように!
巷にあふれるシニアヨガとは
全く異なるものがそこにはありました。
ヨガとは希望である。
そう教え続けてくれている師の言葉を
心の底から実感しました。
どんな人でも
今よりも少しでも良くする。
シニアヨガとは決して
易しく軽減した
ポーズの真似事ではないということ。
死がやってくるその時まで
自立して
食べることができ
排泄することができ
眠ることができること。
誰にも代わることのできないこの機能を
少しでも長く健康に保つこと。
そんな長生きなら誰もがしたいはず。
私はまだまだ学び足りません。
だからこそ、学び続けます。
ヨガをヨガとしてヨガのまま広めたい。
そう強く思っています。